2010年02月28日

ポジショニング

おはようございます。

ちょっとわかり始めたことがあるので、
書きますね。

これまでの日本の資本主義というか経済社会は、

ポジショニングのいす取りゲームだったんだ。

だから、
財源が財源がと、
批判が大きすぎたんだね。

経済の中には、
ほぼ確実が見込める枠が確実にあります。

そこを取りに行ける資格が、

学歴だったり資格だったり…。

枠は有限なんで、
見える化した根拠を差し出す必要がある。
それが、
従来の経済が進んできた、
政治経済が進んできた道なんですね。

そのポジショニングに入れない人と、
入れる人に分けられた社会だったんですね。

自民党は、
その社会制度を守ろうとする政党。

そのポジショニングを全国津々浦々まで、
組織化して、
票を守ろうとする仕組み。

従来の社会を守るために大衆に迎合したフリをする政治。

但し、
本来世の中は、不確実性で、

ポジショニングの奪い合いを競争する経済は、
ゆっくり縮小する。
ましてや発展途上だった国々が、
世界でルールづくりの交渉まで力をつけて勝てるようになった今となったら、

確かに従来の根拠を求めるルールが足かせとなって、
不確実性の部分をわざわざ取り逃がす制度となってしまっている。

民主党の目指そうとしているのは、

その硬直化したその打開なんだろうね。
本来世の中は不確実性なのにね。

社会のポジショニングに当てはまらない、
根拠は提出できないけど、

ちゃんと成果を出す人はたくさんいるし、
そのマーケットはかなり大きいのにね。
根拠を求めすぎない、
めちゃめちゃ面白い枠を差し出せたら、
日本は再成長できるのにね(^-^)
多分。

ポジショニングはポジショニングで大切です。
でも全てに、
それを浸透させ過ぎたら、
社会は活力を蓋される。

それが今の日本ですね。
posted by ひいらぎ at 06:07| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 生活と政治? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月27日

仙石大臣

こんにちは手(チョキ)

週刊ニュース新書に、仙石大臣が出られています。

名前の漢字が違っていたらごめんなさい。

私には記憶力がないのです。
必至で生きているのです。

言葉を聴いて、
仙石さんを、信頼します。

リーマンショック後の世界がどう進むか見据えて、
今、世界からガラパゴス化してしまった

本当にどうしようもなくなってしまったニッポンをどうしよう
と、

きちんと言葉で見える化しておられます。

例えば、
実体経済に役に立つ金融に変えていく

とか。

ニッポンの批判を重ねる人たちは、

自らの立ち位置がどこにあるか

をまず、そこを見ていません。

そこなのです。

今うまくいっていないとしたら、自らの立ち位置が何か幸せではない方向に向かう位置にいるということなのです。

他者を自分の考えと違うから批判や批評することは、

よい方向への方向転換を見誤るということなのです。

微差力という本が出たようです。

題名だけで感銘します。

世の中の成功不成功の違いは、微差なのです。

小さな思いやりの小さな行動の形の違い、
それが、

時間1年365日、×24時間 ×60分 ×60秒

違い続けるわけで、
そこが、結果を分けるのです。

民主党が変えようとする世界は、言葉としては、
半音分変化する世界です。

民主党を批判するより、
その政権をとった政治家方に協力するニッポンの智恵のリーダーの作り上げる言葉を

きちんと読みこなしてください。

微差力。

小さな中途半端な半音の変化は、
古い世代の人には、
ものすごく半端な移動なのです。

だから、心もとなく感じて、信頼できないと批判をしたがる代物なのです。

批判されることがわかりながら、それをやれるその強さがすごいことなのです。

ということは、ちゃんとしたビジョンがあるということなのです。

自民党が作った安心安全社会ビジョンも感銘して、
あれもものすごくよかったけれど、

あれとこれでは、
立ち位置が変わるのです。

だから、新しい立ち位置で、あのビジョンをどうかなえるか、
を考えればどちらも参考になるのです。

ニッポンが幸せになるために。


批判しないで、せっかくの智恵の集まりの結果の言葉を
自分の立ち位置に、引っ張ってきて、
自分の立ち位置から、自分の再調整に役立ててください。

もともと私は、時代は進化するという考えの持ち主で、

自分より1分でも長く生きた人は目上の人で、
目上の人は、
歴史の語り部だけど、新しい時代から遠くなる人で、
守るべき人なので、尊重して丁寧に対応して、
丁寧に言葉を伝えなければならない人なのです。

そのお年よりは、近頃の若者はと言います。

それはなぜか、
新しい時代の、半音変化の立ち位置が見えないからです。
新しい時代は、年を重ねたら、相当努力しないと見えないのです。

半端に見えるのです。

今の日本の多くの人は、ガラパゴス化で、
半音変化が半端に見える人が多いのです。

一歩踏み出したその言葉から始まります。
本気になった人には、本気になって、
そこが自分の現場になった自分ごとになった人には、
その意味が見えてくるはずです。

批判ばかりする人は、当事者意識がない他人事の位置にいる人です。

人より、瞬間的に見えすぎる人間は、つらいのだぞ。

といいたい今日です。

それでは。


posted by ひいらぎ at 11:52| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 生活と政治? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月21日

思ったとおりにね

こんばんは。

書きたいことはいろいろいっぱいあるのに、
なかなか、リズムが合いませんね。

まあ、昔書いた記事も、私の思いはあまり変わりません。

土曜日に社会デザインフォーラム(メモが手元にないので正確ではありません)

を立教大学に聞きに行ってきました。

そこで、損保ジャパンの関さんの話を聞いてきました。

産業界でSR(社会的責任)の定義を決めたことを教えていただきました。(インターネットで検索するとPDFファイルで読めるそうです)

まったくもってすばらしかったです。
(おそらく自分の生き様の参考の言葉がいただけるので検索してみてください。人様がエネルギーを使って整えた言葉を利用させていただくのは楽ですね)

CSRは企業の社会的責任で、SRはCが取れて、「企業の」の主語がなくなって、無責任になるのではないですか?

という質問が、出ました。

本当に、思いとか考えとかって、角度でまったく別のものになるから、
コミュニケーションは難しいですね。

小さな枠組みで考えると、C=企業という主語のない社会的責任は、
曖昧にしてしまう、昔の無責任社会を思い起こさせて不安。

かも知れません。

とはいえ、世界や社会の今の流れの変化はやはり止められないでしょうね。

一人一人が、考え抜いた社会的責任の言葉に合うような意識の向上ができたら、企業という主語の社会的責任はおのずと向上するということです。

ここ数年の社会は、
本当にびっくりするほどものすごい勢いで加速しながら変化してますね。

勉強してみてください。
ものすごく面白い今を生きています。

勉強すればするほど、流れが言葉として見えるようになります。

言葉がないと、「あるがままはあるがままに移っていく」

この変化は、わけわからない、
「見えないものはなかったこと」
になるただの時間の流れになります。

言葉を得ることは、本当に面白いことです。

「はじめに言葉ありき」の本当の意味がなんとなくわかるようになって来ました。

あるがまんまは、あるがまんまに移っていって、

それはどんな人間にも揺らがすことのないあるがまんまです。

時間の流れとも言います。

あるがまんまは、その解釈を言語を作って言語という入れ物に入れて
初めて、

可視化され、何かとして認識されるわけです。

言葉が大事です。

教育も何を教えるかが大事です。

昔のまんまの内容のまんまだと、

日本人はやはりおいていかれちゃうかもしれませんね。

でも、そこが難しい。

欧米の駆け引きや戦いの、そういう社会が本当に人間を幸せにするのかなあ。

ニッポンの青臭さのほうが、よっぽどいいような気がするんだけど…。

思ったとおりに、理想に次元をグーンと上げちゃってもいいような気がするんだ。

今の変化は多次元で、多様化で、同時進行で、
言葉が追いつかないけど、

自分を信頼するという言葉が、
出てきたように、

ニッポン社会の無意識の世界を信頼してもいいのかもしれないと思うのです。

わからないけど、
まずは自分の身は自分で守って、
そして、家族や友達、身近な人を守って、

思ったとおりに、お天道様に恥ずかしくないように、
自分の蓋を取って、ぐーんとやりたいようにちゃんと理想に進めて生きてみる。

真っ正直に生きてみる。

自分を尊重してほしい自分を自分で大切に尊重するように、

同時に他人も尊重して大切におんなじように、かけがえのない人間として対してみる。

そんな風に生きてみようと思います。

posted by ひいらぎ at 23:08| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 新しい生き方の模索 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月14日

前へ前へ

こんばんは(^-^)

情熱大陸を見た。

後ろから乗る車椅子にロボット機能がついついく。

素敵な未来を予感させる技術。

随分前に介護補助機械で前に倒れさせて、膝で支えて移動させる画面を見た時に、

人間が立つのにカラダを支えるには膝の前がよいという人間工学(?)に
のっとったよい技術だなあと、

身近な人たちに、

介護の未来は明るい明るいとふれ回ったことがあるんだけど、

それ以上に感動した。

でもね、
その人が日本で記者発表しても、

取り入れてくれたのは、

デンマーク大使館の職員経由のデンマークの人たちだった。

日本は保守的で、
よいと思った人がいても、

決定権を持つ人につながらない。
(多分)

その高本さんがおっしゃった。

日本の技術者はもんもんとしている人が多い(自分の才能を使える場が小さすぎるんだと思う)

多分海外で成功すると、
日本に逆輸入されることになるんでしょう。

と。

わかるわかる。

日本は挑戦しないから失敗もしない。
八十点取れる人たちが、

出世して、
決定権を持つから、

はみ出た才能がたとえわかりやすくよいものであっても、

途中で蓋される仕組みになってますよね。

そこそこなら、
安心して、
賞賛される、

内向きの国。

でもね、

それでも、

前へ前へ。

くじけず、ひねくれず、

真っ直ぐ前に進みましょうね。

人はノーと言った所で成長が滞る。

愚痴ってひねくれたところで、
成長が滞る。

怒った所が成長の限界。

前へ前へ。

そうすればきっと誰かとつながる日が来る。

前へ前へ。
面白く、自分にとってかっこよく。

自分にとってかわいく。

自分にとって魅力的に。

楽しみましょうね。

そしたら、
いつか蓋しない日本になるかもしれないよ。
posted by ひいらぎ at 23:54| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 新しい生き方の模索 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月10日

蹉跌

おはようございます(^-^)

トヨタが蹉跌です。
どうか日本の皆様は、
叩くのではなく、
応援してあげて欲しい。

強すぎる、
大きすぎるゆえんの責任の重さに表現を誤った。

そして世の中の認識の変化を見誤った(過去はその方法で受け入れていた世の中だったのです)

物事は表現の角度で、
誰をも悪者にできる凶器を内包してます。

誰かを叩けば、
今度は自分も叩かれるのではないかと、
防衛に走ります。

それが進歩を拒み、
在るべきから必然から、
遠ざけ、運も悪くしていきます。

トヨタが痛めば、
日本全体も痛みます。

トヨタは新しい責任の変化を受け入れました。

日本全体で応援できたら、
きっとそれを克服して、
きっと新しい市場を広げます。

協力し合える日本を目指してみませんか?
posted by ひいらぎ at 09:11| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済問題大好き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月06日

揺れる

こんにちは黒ハート

相場のチャートがあるように、
人の心もエネルギーも、運気も揺れます。

ダイエットのグラフも案外同じらしいし、

それから、何かで見た人体の何かも同じチャートになっていました。

人生は揺れる。

在るがままは在るがままに移っていくけど、

結局はそのあるがままの解釈の仕方が、
幸せなんじゃないかなと思うようになりました。

元気になると、心を開放します。
そうするとちょっと行き過ぎて、開きすぎます。

そうすると、その開いたところにいろんなものが入ってきて、
怖くなって、

しゅるしゅるしゅると後ろに下がります。

でも、最近は、
下がっているときに、
次に上がること、上がる日が来ること信頼できるようになって、

待てるようになって来ました。

今は、トヨタの蹉跌が開いた心に入ってきて、

結構緊張してます。

がんばってほしいな。

張さんの記事を前に書いたんだけど、
あれを思い出してほしいな。

あのお相撲さんに、
「その国のその業種の文化に敬意を払って」
とおっしゃった方がいらっしゃったけど、

多分、
それと同じことが、トヨタさんにも言えるに尽きるのではないかと思います。

余分にやりすぎることではなくて、
自分に誇りの持てる必然の仕事をする。

そういうことなんじゃないかなと思います。

コミュニケーションは、能力の高いことが重要じゃなくて、

相手の言葉、言語をあるがまま相手の心に沿ってちゃんと受け取って、
第三者に伝えるときは、それを自分をかぶせて縮小したり、していないか
(あはは私はちょっとだけ、プラスアルファを加えちゃうけどえへへ)

上司が二人います。

上の上司は、
自分の本質を考える人です。
自分に足りないところは他人に任せることができる人です。

もう一人の上司は、
悪気はないけれど、

きたものに自分をかぶせて、自分色に変えてしまう人です。

そこを私が再度かぶせて、あるが飯に軌道修正していいものかいけないものか
(やっちゃってるんですけど)

そこが悩みの種です。
posted by ひいらぎ at 10:32| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 私的なモヤモヤ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする