2005年08月31日

価値を創る。


ずっと書きたくて、だけど説明がものすごく難しくて
躊躇してきた事。

加藤 寛 さんは昔(7年位前?)
テレビ東京系で加藤 寛のカンカンガクガクというような題名の番組をやっていました。

いい番組でね。けっこう好きだったけど、さすがに毎週見ることは難しくて、
それがさあ、なんと優しい事か、長いこと、その番組を言語化して、
ずーっとホームページが開かれていて、
いつか読もういつか読もうと思っていたら、

気づいた時には消えていた。

チャンス(機会)はいつだって、流れていってしまうから、感謝して今受け取る癖をつけなきゃね。


さて、

加藤 寛さんは、優秀でいい人だと思うわけですよ。
だけど、彼は小泉さんの応援者なのです。

考え方がどこから私と違ってくるのかなあという疑問が出てくるわけなんですけど、

昔のある日の事、加藤さんがその番組の中で、

こんな逸話を話してて(多分正式なそういう経済が苦情の話があるのだと思うんだけど)
(記憶はおぼろげ)

AさんとBさんがいて、
Aさんはお酒を持っていて、Bさんはお金を持っていた。
BさんがAさんにお金を渡して、Bさんはお酒を受け取ってちびり。
また、AさんがBさんにお金を渡して、Aさんがお金を受け取ってちびり。

それを繰り返した後には、Aさんのお金と、なくなったお酒だけが残っていた。(変な言い方?)

そのことを、加藤さんは結局何にも残らない悪いお金の使い方

と表現していたのです。

私には、何でそれがいけないのかが、ちっともわからなかったのです。

これこそ、この考えの限界こそが、日本の限界だと思うわけです。

価値は実態に即さなければならない。

ものすごく難しい微妙な世界なので、
感覚的にわかる人にしかわからないとは思うんだけど、

価値は価値だと思えば、作り出すことができるんだよ。

時代がモノからサービスに移っていく事の意味。

それから回転率の意味。

モノや実態に縛られる事で、本来は人々を豊かにするはずの、
受け取ってもいいはずの価値を創る新しい時代の価値を否定する事。

それが、旧日本の限界なんだと思うのです。

この動きはね、
江戸時代の価値がお米の価値しかなかった、幅の狭い価値しかなかった事が、

貨幣経済に移って、ダイナミックな太い価値に空間が広がってきた流れと同じ方向なんだ。


時代の限界を超える世界を想像して、受け取るには、
一度自分を無にして、否定する柔軟度が必要になるんだ。

自分を否定する勇気は、自分が自分であることだけで、存在価値を認められる意味のない
実体のない自信が必要なんだ。

それには、意味なく実体なくなぜか絶対的に愛される経験が必要なんだ。

だから、21世紀の日本には、甘い甘い優しさと思いやりと愛が必要なんだ。
ハードルの低い、甘すぎる世界が必要なんだ。

そのことを、おそらく豊かな時代に育った若い人は、感覚で理解してくれるんだろうな。

だからこそ、愛された経験がないとしても、
意味なく自分を愛する訓練が必要なんだ。

回転する数の価値を創る動きについて、考えてみてね。

投資はね、

そういう意味で、実体無くして、価値を創るという意味で、時代が進めば進むほど、
多くの人を幸せにする手段なんだよ。

実態のある経済は楽しみでしかなくなっていくんだと思うな。
だって、仕事は楽しいもの。

強制されたり、怒られたりするからつまらないだけだもん。









posted by ひいらぎ at 21:44| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済問題大好き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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