2015年07月18日

新国立競技場

お久しぶりです。

少しエネルギーが出てきたかな?

なんとなく感じ入ったんで、意見を書こうと思いました。

新国立競技場問題の一連、なんとなく日本の欠点が前面に出たといえますね。

先に取り付けた約束破るわけには行かないから、といういいわけで、
あやういところで、とても大きな負の遺産を残すところでしたから、
とりあえず、ゼロベースで白紙に戻って、ほっとしてます。

こんな風にこじれた後は、空極の対極に持っていくことがよいと思います。

日本のゼネコンに(海外にも道を開かないといけないのかな?)

オリンピックに、あるいはラグビーのワールドカップ(?)に間に合うような、
超シンプルに重要な機能だけを優先した、機能だけは新しい次代を担えると自信を持てる
『新国立競技場』
のデザイン・アイデアを募集する。
それを持ち寄って、
今回はたくさんの企業が協力しあって、造ってみることを試してみる。
まったく対極の、費用をかけない、いわゆる始末をメインにした、自慢できる新国立競技場を造る。

これに限ります。

必要な機能さえあればいいわけだから、すぐに持ち寄れると思うんだ。
デザインをなしにすることで、コンペで勝った方にも申し訳が少し立つでしょ。

シンプルはね、後から余裕が出たときに、文化創造を加えた、付け足し創造が出来ると思うのですよ。
技術が追いついたときに、今回のデザインを加えてもいいかもしれない。
今回のオリンピックは、シンプルでお金をかけない自慢。
障がいを持たれた方も、言語が違っても、現在から未来にかけて自慢できる新技術で、ワオ〜と驚いてもらえる、いろいろなものを4年間の中で、加えていけばいいと思うのです。(機能機能です。)

予算が1300億以上あるのであれば、
差額は、基金にして、運用益で、スポーツ振興と、福祉に半々使うとルール化しちゃえばいいと思う。
建物にお金を極力かけなければ、新技術で、快適な色々を加えられるでしょ。
さらにひとまわり大きな空間を用意して、企業に対してプレゼン空間を販売すればよい。
オリンピックに来られた方々に、たとえば、ロボットスーツ体験場とか。1ブース1億とかね。

建物に付随する空間だから、オリンピック委員会とは関係ないわけだから、公式スポンサーじゃなくてもいいわけでしょ?
日本の刃物協会でもよいし。
介護用品なんて、日本が超超高齢化課題先進国なんだから、なのに新しい技術に対して先例がないことには冷たい風土だから、知られていない技術?いっぱいあると思うんだ。
そこは地方創生の予算で、そういう技術のためのブースを用意してあげればいいでしょ?

オリンピックって言ったって、チケットはなかなか手に入らない。
勇敢で、要領がよく、お金に余裕がある人しか、手に入れることは難しい。

でも、せっかくのオリンピック、大勢で開放感の中みんなで一緒に応援したい人はたくさんいると思う。
その差額と寄付とを合わせて使って、日本中の色々な公園に、防水の大画面を設置するの。
(そのころには画面は要らなくて空間に放映できるかもしれないね)

英語で見る人は、この公園。
中国語で見る人は、この公園、
スペイン語はこの公園。
って公園ごとに変えて、その言語の国の放送を変わる変わる放送するの。
(競技も変えなきゃね)

そうすると、今迄で一番、一般の人が楽しめるオリンピックになると思うな。
地方のお年よりも、近くの公園で、無理せずたくさんの人とオリンピックを楽しめるかもしれない。

今回の新国立競技場を多企業で造ることに協力してくれた、建設会社には、
競技場のどこかにその歴史的価値と、感謝の記『社名』

協調という新しい未来の平和的日本の象徴として、
目立つところに、
会社という枠の縛りを乗り越えて、協力してくれた、すばらしい会社であることを記『社名』
してもらうのです。

その代わり、安くしてね。お願いします。







posted by ひいらぎ at 14:02| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | アイデア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月02日

信号

先週の新聞に、

高齢者の万引きが増えたと書いてあった。

せっかく子どもの万引きが減ったのに…。

だそうた。

その背景は何か?

誰とも話す機会がない、

寂しい、助けて〜!

の悲鳴であり、信号、合図だそうだ。

最近は買い物するにも会話をする機会がないからだそうだ。

七、八年前に中学生の居場所がないと、
あるところで聞いた。

でも今は、携帯メールがある分、
中高生の居場所は増えたのかもしれない。(あの頃よりは)

万引きは、寂しいよ〜。自分がここにいることを知ってくれ〜の信号、合図なのかもしれない。

それなら、

善悪で裁かずに、誰も悪者にしない、

ウインウインウインの仕組みを作りませんか?

その合図を活用するのです。

万引きが見つかったら、その品の値段プラスその万引きを見つけるためにかかったコスト千円で、

罪を問わないことにする。

国は、CO2の排出の少ない最新技術の新しい理論を組み込んだ最新集合住宅を造る。

合図を送った人は、例えば不動産を持っていたら、国に売る、召し上げられる、預かる、

何でもいいけど、その不動産の権利を国に渡す。

町の変化を、ウインウインウインで勇気を持って創り上げちゃいましょう。

国は、とりあえず、古い家は壊す。(歴史的に価値のある古家は、場所を移す)

比較的うまくいった過去の成功体験を持つ、歴史の古い町というのは、
豊かな新しい時代に即した変化を、実行しにくい。

共産主義や社会主義のように、人権という概念のない国では、

国の命令一つで、自分のものが召し上げられる。

いろいろ問題はあろうが、時代に即した変化は、実行しやすいという利点がある。

人口が減ってくる前に、

人口が減っても、暮らしやすい100年の計を持って、

新しい街造りを、促進する。

寂しいよ〜!助けて〜!

と信号を送った人は、

過去の自分の財産を、信頼できる(ここが大切です)国に預けて、収支を任せながら、

年配者が、協力し合って、ローコストで面白おかしく暮らせる集合住宅に引っ越す。

日本の技術の集大成のローエネルギーの集合住宅。

個室があってね、バリアフリーでね。

今日と議定書CO2削減に協力できる、世界に自慢できる集合住宅。

世界に勝つには、数字じゃなくて、国民が幸せになる事なんだよ。
それが世界に勝つということだということを自覚してね。

個室だけど、部屋にカギをかけない人は、いつでも入ってきてもいいよと言うしるし。集合住宅の入り口だけカギを閉めれば、自室はカギはいらないかもしれない。

食事も介護も老老介護。

自分達の生活は自分達で最後まで守る。
お年寄りだって、十分働けるし、家事は得意な人がいっぱい。

独立行政法人みたいに、集合住宅ごとの収支をはっきりさせて、

ローコストで生活できる工夫をする。
そんな集合住宅ができたら、
相性が悪い場合は、トレードだってできる。

例えばね、一階に広いフロアを作って、

児童館で6時まで預かってもらった後は、そこに集団下校をして、
そこで年配者の食事つくりを手伝って、一緒に夕飯を食べる。

お風呂だって入ったっていい。

お父さんもお母さんも残業で疲れたら、

そこで野菜たっぷりの食事をいただく。

お客様ルームも造って、お客様がきた時は1泊いくらで、そこでおもてなしができる。

生活費は、年金プラス、その不動産のお金。

死ぬ時に何らか残ったら家族に残すだけでいいよね。
だって、その年配者は、寂しがっていたんだから。

生活保護だってね、一人一人より、集団生活なら、ローコストなんだよ。

ベランダで野菜を育ててもらって、自給率を高めたりね。

工夫で何でもできるんだよね。本当は。
posted by ひいらぎ at 13:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | アイデア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月17日

新聞ついで

新聞ついでに

もひとつアイデア。
情報というものは多すぎて、

実は選びきれないというか、もう大変!
そこでこんな雑誌があったら費用はかからないし、みんなが賢くなるし、いいなあ。

例えば僭越ながら、新聞大好きで、素直な普通の市井のお母さんであるひいらぎさんが選んだ今月の記事の雑誌はいかが?

そんな感じ。

私なら月二十万いただけたら、さっさと仕事を辞めて、喜んで引き受けます。

まあ、私じゃあ、ブランドがないから、

だれだれさんの選んだ今月の新聞記事集にその方の気品のあるコメント、解説を添えて。

もったいないから、紙質も落としてコストを下げて、情報の二次利用、流れていってしまう情報を徹底的に生かす。

だれだれさんの思想を感じて、学びの手がかりに。

私は徹底的に活かすことが大好きです。
そうそう、その記事は切り抜き、ファイリングに便利なように、切り取り線と二穴があいていたらいいなあ。
posted by ひいらぎ at 19:08| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | アイデア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新聞カフェ2

このアイデアは、

書くのにものすごくエネルギーを要する。

どうも逃げ気味だ。

アマゾンドットコムがまだ、軌道に乗ってない頃、マスコミからボロクソ書かれていた頃から、あのビジネスモデルの壮大な構想力というか、キチンと利益の出る仕組みを作るまで、資本を応援しようという、アメリカのビジネスに対する寛大さというか壮大さというか、本当に心から尊敬していた。このビジネスモデルは必ず成功すると確信していた。

私は本は日本の資本から買うけど、そこは、あの壮大さを手に入れられないものの羨ましさというか、妬みもほんのちょっとだけある。

この新聞カフェもそんな壮大な計画のもと、日本の新聞各社が実行してくれたらうれしいんだけどてんてんてんてんてん。

どんなものかと言うと、新聞の記事は、検索のできない、ピーディーエフにする。

一つ一つの記事には、丁寧にその記事が検索をかけられるとするとどんな言葉からくるかと考えられるキーワードの言葉をつける。

その単純作業を地道に情報を溜める。

ある程度たまったら、

全国にカフェを作る。漫画喫茶と同じ仕組み。

一時間五百円、延長30分百円とか二百円とか。飲み物はただ。

各人は求める情報を検索をかけて調べる。

印刷したら一枚五円とか、十円とか。

そこに著作料が発生して、著者があるものは、作者と新聞社が折半。

新聞社の社員の書いたものは新聞社が著作料をもらう。

そんな簡単な仕組みです。

これができたら、日本の知的効率は格段に上がって、日本の経済競争力は、 格段に上がる。

情報のハードルが格段に下がるというわけです。

この仕組みのいいところは、

日本語の希少性を利用して、日本人だけに受け取れ安いサービスだということで、国を守ることにもつながるのです。

これ以上書くと、違うテーマに移ってしまってにっちもさっちもいかなくなるので、無理やりここで終わります。
posted by ひいらぎ at 16:34| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | アイデア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月09日

新聞カフェ

アイデアの項目がほとんど書いてないからといって、アイデアがないと思わないで下さいね。

私はケチだから、そうそう教える気にはならないだけで、この人には教えたいと感じたら、情報を送りつける、お節介情報魔です。

新聞が大好きです。一日中新聞の記事の整理を有給で仕事でさせてくれたら、超幸せ(^o^)

ヒットラーの情報源は新聞の切り抜きだそうです。

とはいえ、新聞を毎日集中して読みこなすのはなんと大変なことか!

家族の白い目を感じつつ(だいたい活字中毒の女の子は母親から起こられてばかり)罪悪感を感じながら、実際に読んでみてる私には胸を張ってどんなに大変なことか言うことができます。

クリッピングとか、新聞社と契約して情報を取るには高い価格が個人には、致命傷。

大きな公的な図書館では、ワンコピーは確かかなり高い。

インターネットで検索って言っても開かれたネットの中の情報は正しい情報も間違った情報も同等に出てくる上に著作権に阻まれて、レベルの上の方々の書いた記事は、例え載っかっても、一時で消えるようになっている。

私たち素人だってひけをとらないものが書ける?

いやいやその専門を何年も深堀している方には勝てません。
日本は情報が敷居が高すぎる。

それはどういうことかというと、

日本国内で低レベルで戦って、足を引っ張りあって、美味しいところを、合理的な海外の方々に持っていかれてしまうことです。

私は、何年も前から、マンガ喫茶のような、新聞カフェがあったらなあと考えてきました。

詳細は次回に。

では。
posted by ひいらぎ at 16:02| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | アイデア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月20日

リサイクルの仕組5


今日は、息子がいなくてちょっとヒマなんで、
もう少し書いちゃおうって。

リサイクルの仕組みについてどこまで書いたか忘れちゃった。

とりあえず、かって考えた事を忘れる前に。

本についてのリサイクルの仕組みです。

本が大好き!
けっこう活字であれば、何でも読むし、楽しくなっちゃう。
今の職場に入るまでは、年間300冊は小学校の頃から、
読み続けていた。

(といっても簡単な本ばかりね。)

今は、入り込めなくて、新聞読むだけで、頭が疲れて本は読めません。

30ページくらいは読むけどね。

さて、その本が買えなくなったのなぜか、

うちは狭くてねえ。
物が捨てられない私は、
本を置く場所がなくても、かつての本を捨てられない。

ゴミ捨て場に興味深い本が捨ててあったらついつい拾っちゃうから、
そういう本も捨てられない。(かわいそうだもん)

私の持っている本は古いし、古本屋の方が買ってくれるような本じゃないし…。

だから、捨てられない以上買えません。

捨てられないと怒られるから買えません。

さて、アイデアを一つ。

全ての公園に、ちょっとした屋根と、スチールかさびない朽ちにくい本棚を設置して、
国民の皆さまから、自由日本を提供してもらいます。

そこには机と椅子も用意します。

借りる人は、ご自由にどうぞ、読んだら返してね。

まあ、東京でいう、地下鉄文庫です。

はんこなんぞも押しません。

インフラ(というほど大げさじゃないが)だけ、箱だけ用意して、
あとはお上は、コストはかけません。
この設備が朽ちるのも、有効利用するのも近くの住民次第です。

本を借りるのも返すのも、何の手続きも要らない。
その本が欲しい人は貰ってもいい。
誰かの不利益なんか考えなくてもいい。
自由自由自由。
汚れてかわいそうな本があったら、
気持ちのある人が手入れをしてあげればいい。
いろんな人の工夫で本を一杯長生きにしてあげよう。

きれいでかっこいいものにこだわりのある人は、
ちゃんと本を買えばいい。

ゴミにするくらいなら、ここにポンと置いていけばいい。

行政側はある土地を生かして、インフラを整備するだけで、その後の
継続コストを考えなくて、大きな社会貢献をすればいい。

既存の図書館は、有意義と思われる本だけを、税金で買って、
その代わり、利用者は、例えば一冊10円とか、安価な利用料を払って、
ちゃんと少しだけ安価なコストと、気持ちだけの寄付を払って、

共済のシステムで運営をする。
(お金のある人はたくさん寄付できるシステムもあった方がいいと思うんだ)

図書館の設備も、ある一定の場所だけは、そういう有意義な本の場所にして、
人のコストをも削減して、

リサイクルに出すような本は(東京では一定期間を過ぎた本はリサイクルで区民に下さるんだ。
いっぱい子どもの本をありがたくいただきました)

それ以外の場所において、
手続きなしで、自由に貸し借りできるようにして、システムのコストは省いて、
まあ、ボランティア精神のある素敵な方に、
お世話は自由に任せましょ。

私にとっての小さな政府は、こういう小さな積み重ねであって欲しいのです。
サービスの代替の仕組みは提供してくださいね。


posted by ひいらぎ at 22:50| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | アイデア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

科学教室


こんなのがあったらなあという長年の希望を一つ。

うちの息子は、一年の頃から学研の科学を取っています。
内容はすごくすばらしいです。(男の子の感性で本が創られているなあという違和感というかわくわく感を感じます)

おかげさまで息子は毎月すごく喜んで、何度も何度も読み返し、
よそ様に羞じない、科学のうんちくを溜め込んで、

私が新聞記事で、こんな記事があるよと伝えても、
「あっそれ?それなら学研の科学で読んだから知ってるよ」

と一蹴されるような毎日になっております。(知ったかぶりかもしれないけど)
なんと、あの、トリビアの泉に出てくる無駄知識は、
学研の科学に載っていた記事が一杯出てきて、
僕も出そうかなあなんていいながら、実行ができない行動力のない私に似ています。


ところが、この学研の科学には困った事があります。

付録です。

ものすごく興味深い面白そうな教材である事はじゅうじゅうわかっております。
だけど、
いわゆる優等生の精神年齢の高い子どもではない、

わが、劣等お子ちゃま息子は、
一人でその付録を有効実行することができないのです。

かといって、私は仕事に家事に(今はこのブログを書くこと)がいそがしく、
そんな付き合ってらんねえ、なんて勝手な事をのたまう、ダメダメ母親で、

あの付録がどんどんたまり、捨てるに捨てられなくて、生かしきれない消化不良の
欲求不満が、息子と私の間にどんどんたまっているのです。

お父さんがやればいい?

それはよい夫父親を持つ恵まれた人がのたまう戯れ言です。

期待するから悲しい。期待を捨ててはやうん年。
(夫は夫のペースで科学センターとか連れて行ってくれるようになりました)

そこでかつて考えついた仕組みです。

学研さんは、
学研の付録を活用させる能力をたくさんの若者に研修して、

各地の学校、公民館を借りて、月に一度か二度か三度か四度(地域の若者を使えば4度もできますよね)

学研の付録の活用実験教室を開きます。

参加者は、参加時に学研の科学を買うか、500円を払って参加します。

もうそれだけです。

そうすると、本は売れるでしょう。

学研の科学を買った子どもたちの消化達成率は向上し、
日本人の科学能力は向上する。

仕組みは簡単だけど、

どんどん深める事も成長する事も、構成員次第、

一人500円払えば、収益はかなりペイできます。
親も500円で、子守りと学習を叶えてもらえるのは
かなりラッキーな事です。

本が売れれば雑誌の場合、広告料収入が向上して、
収益がかなり向上します。

よいネットワークが全国的に伸びれば、
いろんな可能性が増えて、

学研の会社の成長期待が増えて、株価も上昇します。

よい循環が伸びていきます。

あー叶えて欲しい〜。

(ついでに、付録は、リース性にして、使いまわしにして、家には持ってこないか
返せる仕組みにして欲しい。身近においておきたいものだけもって帰ってもいい自由性をかなえてね。地球環境問題の教育もしましょう)
posted by ひいらぎ at 13:37| 東京 🌁| Comment(1) | TrackBack(0) | アイデア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月31日

リサイクルの仕組み4

物を捨てることに悲しみを感じてしまう私は、

世の中にリサイクルの仕組みが、わかりやすくわかりやすくできないかと思い続けている。

でも、世の中には相対的な同時に反対方向の力が成り立ってしまう矛盾がたくさんあって、
あちらを立てればこちらが立たずで、
鶏が先かタマゴが先かで、

考えれば考えるほど、ド壷にはまるというか、深い深い闇の世界に引きずり込まれる事もある。

小泉内閣の俵百票の緊縮財政は、ポイントのずれた、自殺者を増やす政策だと私は思っているんですが、

無駄は本当に無駄か?という問いは考えるに値する相方向性のバランスのよさを必要とするのではないでしょうか?

みんなが幸せになるには、経済が回る、景気がよい状況が必要です。

それには、物はどんどん捨てなきゃいけないし、消費は美徳になるしかないんです。
だけど、キレイ事の善の世界では、消費は悪だし、
者は大切にするべきだし…。

やっぱり真面目な人は深い深い闇に引きずり込まれてしまいますよね。

無駄は本当に無駄か???という問いは、
長年かけて、自分に問うべき問いだと思います。

答えは出ませんが、解決のための方向をずらしたいいアイデアはきっと出てきます。

とりあえず、リサイクルの仕組みを成長させようとしたら、
経済がいったん縮小する事をまず受け入れなければ無利だということを覚悟しましょう。

かといって、覚悟したからといって、我慢を自分に強いる必要はありません。
考えて考えて、その部分の縮小する部分をどういう形で補おうかという工夫をすれば、何とかなるのです。

負は覚悟はしたほうがいいけれど、我慢する必要はない。
我慢が癖になると、我慢が目的になってしまう誤解を人間はしやすいから。

ありのままをみて、問題を直視して、真面目に対応すれば、多分問題の多くは解決の道がある。

だけど問題を直視しないで、自分の有利を手放せない利権野郎が、解決の道を進ませてくれない。
そこに、問題があるのでしょう。


変化は恐いですからね。
だからこそ、負を覚悟する心のシミュレーションが必要になる。
大丈夫、変化は恐れなければ恐くない。

(ここから数行が消えました。思い出せません。ごめんなさい)

政治ってそういうことをすることが政治だと思うですけど、
この国の大人たちの政治は尊敬できないんだ。

面白くないんだもの。
posted by ひいらぎ at 21:26| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | アイデア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月13日

リサイクルの仕組み3


ずっと私の中で暖めている仕組み。
モノも情報も整理したら有望な資源。
そのままじゃただのゴミ。
じゃあ誰がその整理整頓のコストを負担するのか。

私は学校をコミュニティの核と考えている。
少子化はラッキー。
(目配りしやすい)
基本的に「働かざる者食うべからず」
子供だって働け〜!

新しい仕組みを伝える時に、何から伝えるのか(順番が)とても難しい。
資本主義を乗り越えるが私のテーマで、
それは縦軸の位置を変えると言うと簡単に伝わるかな?そういう感じなのです。

そういう感じだけど、詳しく伝えるのは難しいんだ。
その伝えにくい事が前提に(底辺に)あることを想像してくださいね。

リサイクルに子どもの労働を仕組みに組み込むが私のアイデアなのです。

簡単に言いますと、
朝、子供達が各家庭のごみを(ゴミと言うか資源になりそうなものを)
集めて学校に持っていって、仕分けします。
(空き部屋を仕分けルームにします)

例えばトイレットペーパーとかの廃材は、
廃材を使った工作用資源にして、
放課後、
自由に大胆な、壮大な工作を楽しみます。(これは余談)

仕分けしたら、

業者に売ります。

鉄くず。

ねじ。

数が集まれば、重要な資源です。

例えば紙袋は新品のまま使い道がなく捨てられます。

が、子供達が集めてくれれば、エコ思想のあるお店の人が買っていってくれます。

子供達はその売り上げで何をしましょう。
学校の備品をそろえますか?

だけど労働の楽しみがなくっちゃね。

子供達の自治を作らせて上げましょう。
子供達のユートピアをつくらせて上げましょう。

人生は楽しむためにある。
支配管理じゃなくて、
自分達で学ぶ世界を応援しましょう。(見守る大人)
posted by ひいらぎ at 22:36| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | アイデア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月30日

リサイクルの仕組み2

物事というのは、簡単でないと、私のような怠け者は続かない。

時折愚直に丁寧すぎることもあるけど、

どちらかというと、動きの動線の中に、遮るものがあると、
すぐに引いてしまう性格。

そうではない人の方が多いかも知れないけど、
一人そういう人がいるとしたら、案外そういう人は多いかもしれない。

リサイクルもそう。

ペットボトルのリサイクルをする場が、私の生活の中の動線上にない。

乾電池は、お役所がらみの場所に行かなければならなくて、
そこは私の勤務時間中は、行けない。

電池がずーっと、家の片隅にまとめられていて、
夫に怒られる。
「捨てろ〜!」

普通より真面目でない人と暮らす場合、リサイクルっていらつく行動なのかもしれない。

まず、回収について。

今は公務員が回収しているのかな?
それとも、委託業者がやっているのかな?

何区だったか知らないけれど、新聞に、資源ごみを勝手に持っていかないように呼びかけることにした。だったかな?
書いてあった。

なにそれ?
自由じゃない。

私は資源ごみの回収が始まった時にこう思った。

なぜ、公務員とか委託業者にやらせるんだろうか。

回収日を決めて、
自由に回収させて、国や区や市が回収してきた人に、何キロいくらで少し高めに引き取ればいいのに。(自前でやる給料分上乗せして)

正規職員の給料は高い。

委託業者だって、高くはないけど、やはり高い。

そういうお金の分を使って、ちょっとお徳に引き取る仕組みを作ってあげたら、
リストラ全盛のあの不況の時代、

とりあえずのいいアルバイトになって、
それでホット一息つける人がたくさんできるのに。

生活保護みたいな援助は、人の誇りを傷つけて、
やり直す意欲をそいでしまったりする。

自分で稼ぐ道があったら、ほんのちょっとかもしれないけれど、
自分に自信が持てるんじゃないかな?

確かに、問題もあるのかもしれない。

私は問題があるかもしれないから、入り口を規制するよりも、
自由を保障して、その代わり問題を起こしたら厳しく罰する仕組みの方が、
人が依存になりにくくなる。

自分で経験させて、自分で自分の内面の弱さと葛藤させる経験を積まないと、
人は強くなれないし、自立する事ができにくい。
この国の人間が(特に年配者が)いつまで経っても幼いのは、
規制で守られすぎているからなんだろうね。

この国が、もっと稼ぎやすい国になることを望んでます。

自分の垣根をみんなが低く出来なければ、
稼ぎやすい国にはなれません。

ヤマト運輸の小倉さんが、スワンというベーカリーを創った。

障害者がちゃんと給料がもらえる事業をという狙いを持って。

社会福祉協議会というところは、
職員の給料を稼がせるために(正規の)障害者は月1万程度の給料を貰っている。
うまく説明できないけれど、

日本の公の仕組みは、本末転倒が溢れている。

私は既に豊かになったニッポンは、
公務員は仕事を探しにくい、かつボランティア精神の大きい人がなるべきだと思っている。
お金を稼ぎたい人は、民間でどんどん稼げって。

公務員が職の待遇をリードする時代は終わったと。

本気で日本の仕組みを根本から整理しなおす時代がきたんだと思う。
posted by ひいらぎ at 23:46| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | アイデア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リサイクルの仕組み1(まだ仕組みは無し)

私の家事の無能が、根本的にどこからくるかというと、
行動がのろいというのが一番なんだろうけど、

まあ、しいて言えば、物が捨てられないんだ。

アニミズム:(事物には霊魂(アニマ)など霊的なものが遍在し、諸現象はその働きによるとする世界観)というか、想像力が発達しすぎて、あるいは感情が豊か過ぎて、

物捨てるときに、捨てられるものの気持ちに同調しすぎてできないの。

現代社会仕方がないから、葛藤して葛藤して、ようやく捨てる。結局捨てる。

葛藤するだけ馬鹿みたいだけど、悲しくなるものは悲しいんだもんしょうがないじゃない。

その、ようやくのところの緩和材がとりあえずリサイクルに出すという名目で、
いつかリサイクルに出したいという名目で、箱や袋に詰めてしまってあるガラクタです。

夫にいつも叱られるんだけど、その緩和材がないと、申し訳なくて心がすまなくて仕方がなくなるから、どんなに喧嘩しようが、怒られようがそれがないと耐えていけないの。

かといって現在のリサイクルで出せるような代物じゃないの。
だって、捨てることがかわいそうととらわれている私は、
10年、20年以上使い続けている物体がいっぱいあるんだもの。

アイロンは短大生のときに兄に買ってもらった、5000円くらいのアイロン。
(私の手首の傷は、このアイロンがけでつけたやけどの跡だから、ギョッとしないでね)

ほぼ23年使っている。

食器は、実家が農協からもらった食器が多いし、(夫は買うから、新しいのも少しある)
(家事は下手だけど、食器を割ることがめったにないんだ)

携帯電話は5年以上使って、昨日、替えた。
今後WEBを使う機会が増えるかなと思って。

今迷惑メールがいっぱい入っていて、
迷惑メールだけで、電源がなくなっちゃうんだもん。
かといってアドレス替えるの面倒からか、無視し続けて、
忍耐力勝負か?(対処の仕方教えてください)

自分のこういう行動は、自己満足に他ならないことは知っていて、
一人くらいががんばったってどうしようもないことはわかっている。

そういう認識の中にいた。

でも、今年、一新塾というところの人たちと出会って、
あれ?この認識も既に時代遅れか?

と私の中で揺らぎ始めている。

リサイクルと言うか、物を大事にする仕組み、というか、

持続的社会のために、環境問題のために、
消費社会が永久持続じゃないことはみんなが知っていることなんだけど、

じゃあどうしたらいいか、その行動が難しいね。
ものすごく難しいね。

私の中では、新しい経済の仕組みみたいな可能性を追求したい道があるんだけど、
ま、それはどでかすぎる話なんで、おいおいにして、

私の考えるものを大事にする仕組み、読んでくださいね。(次回)
posted by ひいらぎ at 12:58| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | アイデア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする